中小ゼネコンに入社し、建築の現場監督を18年やってきました。
その中で、一度も辞めたいと感じた事はありません。もちろん、大変だとか辛いと感じる場面は幾度となくありました。理不尽だと感じることも一度や二度ではありませんでした。でも、辞めるという発想には至りませんでした。
だからこそ、建設業の楽しさをもっと知ってもらいたいという想いと、もっと楽しく働いてもらいたいという想いを叶えるべく、独立して自分で事業を始ました。
僕は工程表を愛しています
そんな現場監督の仕事の中で、僕が愛してやまない業務があります。
それが「工程表作成」です。
工程表を作っている時、意識は研ぎ澄まされ没頭できます。気が付けば何時間も書き続けるなんてことはザラにあります。図面をみて、現地をみて、状況を想像して、職人の顔を思い浮かべて・・・。線を一本一本繋いでいくその作業は、僕にとって至福の時間です。
なぜそんなにも愛しているのか。
それは工程表が、自分の思い通りに現場をコントロールすることの出来る代物だと知っているからです。施工管理としての知識や経験の結晶が工程表であり、紙きれ1枚で現場を自由自在に操ることができる、魔法の技術なのです。
工程表という名の芸術
最初は1本の線から始まり、いくつもの線に分かれて伸びていき、そしてついには生い茂る樹木の様に伸びた工程線が、現場の最盛期を築き上げます。そこから1つ、また1つと線が収束していき、最後にはまた一本の線に戻っていく。その流れる様な工程表は、僕にとっては芸術作品ともいえる物。「工程表萌え」なのです。
まだ始まってもいない工事の段階において、自分の手で作り上げたその工程表の上だけは、工事が美しく竣工しています。今書いている瞬間から、工程線の終わりが遠ければ遠いほど、より遠くの未来を予知していることになります。
時間が経ち工事も進捗していけば、自分の設計した時間の流れに沿って現場が進んでいきます。数か月も前に計画していたことが、寸分の狂いもなく現実に実行されているのです。感動しない訳がありませんよね。
もちろんこだわりもあります。それは「常に策士であれ」ということ。
つまり、きちんと思惑通りの工事になっているのかどうかが重要です。なんとなく適当に書いた工程表がたまたまうまくいったところで、そこに感動なんてあろうはずがありません。
宝くじの様に、たまたま買ったらたまたま当たったなんてことでは、面白くもなんともありません。そうではなく、本気で考えて考えて考え抜いた末に出来上がった工程表にこそ「美」があり、見れば一瞬で分かります。
工程表には、線一本一本にメッセージが込められており、見よう見まねで書いてみたものからは何も伝わってきません。横列に見ていっても、縦列で見ても、そして階段状に見ていった時にも全てが美しくつながり、その線は決して切れることなく、川の流れのように竣工へといざなわれていかなければいけないのです。
全体の工期から鑑みた時に、敷地条件や仮設計画を踏まえ、設計図面や協力業者の顔ぶれ、職人の腕、そこから想定できる歩掛り、季節による人数変動や気候の運、さらには予算や利益率など。それら全ての条件を余すことなく根拠立てて作るからこそ、うまくいったときの爽快感が得られるのです。
工程表は、経験や知識を積めば積むほどに余分なものが削ぎ落され、磨かれていくものなのです。
ただ細かく書いてあればいいというものじゃありません。窮屈な工程に見えても余裕があり、簡単そうに見えて引き締まっている。そんな工程表を見た時に、寒気がするほどの美しさを感じることもあります。
自分の技術だけで生み出す現場監督ならではのコンテンツ、工程表。
施工管理の醍醐味ともいえるその業務を、ぜひ味わい、楽しんでもらいたいなと感じます。
