
GENBA Lab.の武田です。中小ゼネコンで現場監督歴17年、所長歴11年の経験があります。
建設業界をもっと働きやすい場所にするために現場効率化事業をスタート。発信活動にも力を入れています。
- 建設業のデジタル化
- 生産性を上げる方法
- 部下の育て方
- 先輩や職人との接し方
- 図面の読み方
- 悩みの解決法
などなど、主に、現場監督目線での配信になります。
上司にとっても若手や新人にとっても、役に立つ配信をどんどんしていきます!
世界を広げる選択していますか?

突然「明日から社長の運転手になれ」と言われたらどう感じますか?
全然好きじゃない先輩と、3日間マンツーマンでキャンプ行けと言われたら?
これが仮に業務だったとしても、嫌ですよね。
ちょっと例えが突拍子もなかったかもしれませんが、仕事をしていく上ではやりたくない仕事はどうしてもあると思います。どうせ仕事するなら、しっかりと納得してからやりたいと思うのは当然の話です。
ただ、「理解できないから」「まだ知らないから」という理由で納得できず、拒否する仕事があったとして、その仕事が本当に楽しくない仕事だと言い切れますか?言い切れませんよね。
もしも本当は面白い仕事だったとして、それを伝える術はありません。だって、理解できない事なのですから。
特に現場監督などの技術屋は、語りのプロじゃありません。それをやる事にどんな意義があり、どのくらいになったら楽しくなるなんてうまく説明できるわけがありません。
そもそも人間は、理解できないことを嫌う生き物です。説明のつかない山火事を「神」と言って恐れたように。いくら説明されたところで、理解できなければ近づきません。納得しなければやりたくないのは当然なのです。
特に情報があふれるこの社会の若者は、「情報先行」の生き方に慣れすぎてしまい、自分の納得できる範囲のことしかやらない傾向が強いと感じます。
ですがよく考えてください。
見識というものは、経験するごとに広く大きくなっていくものだと思いませんか?
若ければ若い程、見えている視野が狭いのは当たり前ですよね。子供はカレーとハンバーグを食べたがりますが、大人はもっと美味しいものを知っているからそれ以外も選ぶようになります。これは経験によって世界が広がったからです。
つまり、納得できる範囲がそもそも狭い若者が「納得できないとやらない」と選択した時点で、世界は広がるわけがないのです。それどころか経験を忘れていき、世界が狭くなってしまいます。
順番を変えるだけで世界が広がる

20代のまだまだ脳みそがやわらかいうちには、「イエスマンになれ」と僕は言います。
イエスマンとは、誰かをヨイショするためのものではなく、どんなものでも受け入れて行動をしてみましょうという意味です。
誰かに何かを頼まれたら、どんな状況であれ、どんな理不尽な頼み事であれ「はい!」と言って引き受けてしまいなさいと言います。その後で、「どうやってやるんですか?」と聞きましょう。「自分でできますか?」と問いましょう。
納得してからやる事を決めるという順番ではなく、やる事を決めてから納得しようとして見るのです。
仮にそれが、どうしても納得できない事だったとしても、受けてしまった以上はやってみましょう。その結果が、仮によくなかったとします。それでも今までの自分ではやらない選択をしたことになり、出来ないはずの経験を得ます。そして知らなかった世界を見ることになり、見識がが広がります。
もちろんやりたいことはやってOK。それは絶対に楽しいから。でも、やりたくないこともやりましょう。世界が広がるから。そうしていくうちに、時間が足りなくなります。やりたいことが多くなるから。
やりたいことだけやっていっても、その世界がそもそも狭いからいつかドン詰まります。
世界は知らないことだらけ。果てしなく広がっています。こうしている今も広がり続けています。にもかかわらず、小さな世界に閉じこもっているのはもったいないと考えるわけです。
ドン詰まりの世界と、無限に広がる世界。
まだ若いあなたは、どっちを選ぶ?